日清戦争と日露戦争
日清の関係もまた朝鮮を巡って軍事衝突が避けられる情勢にはなかった。近代になると日本ではイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどをはじめとする欧米列強による帝国主義の脅威が迫るなかで、安全保障上の理由から、大陸からの玄関口である朝鮮半島(李氏朝鮮)に対し開国を求めた。李氏朝鮮は開国を否定し日本を仮洋夷(西洋に毒された国)として国交を断絶した。日本では、この開国拒否問題(仮洋夷問題)を発端に西郷隆盛・板垣退助・江藤新平らによる征韓論が展開。そして1875年の江華島事件を理由に日朝修好条規を要求し、李氏朝鮮を「開国させる」ことに成功した。日本は朝鮮の親日派勢力であった閔妃一族の内政改革派(維新派)を支持したため、1882年に親清派(保守派)の大院君が漢城に設置された日本公使館を襲撃、日清両国が軍事介入して壬午事変が起こった。
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清は事変の首謀者である大院君を拉致・抑留し、事変後に親清派に寝返った閔妃らが結成した事大党と協力し、朝鮮の政治・軍事の実権を掌握した[25]。朝鮮での影響力が低下した日本は開化派の金玉均率いる独立党と手を組むことにする。1884年、清仏戦争の混乱に乗じて独立党が甲申事変といわれる事大党・閔妃に対するクーデターを計画、日本は独立党を支援したが袁世凱率いる清軍により失敗、翌1885年に伊藤博文と李鴻章の間で天津条約が結ばれ、日清両軍が朝鮮から撤退することが決まった。